В токийском университете иностранных языков прошло «Международное научное совещание по проблемам центральноазиатских дунган», в котором приняли участие и ученые из стран Центральной Азии, в том числе Узбекистана

Вид материалаДокументы

Содержание


Хуатянзыни җонди хун хуар, лан хуар, бый хуар
Подобный материал:
1   2   3   4   5   6   7   8   9   ...   17

中央アジア・ドゥンガン人の言語と文学

ムハメ・フセーゾヴィチ・イマーゾフ

(クルグズ共和国民族科学アカデミー候補会員

ドゥンガン学・中国学センター長,

フィロロジー博士,教授)


 ドゥンガン語はシナ・チベット語族シナ語派に属する.

 1927年タシュケントでドゥンガン人学生Ja・シヴァザShivaza,Ju・ヤンシャンシンJanshansin,X・マケーイェフMakeev等が初めてのアラビア文字に基づくドゥンガン字母案を作った.アラビア文字には,知られるように,28字がある.ドゥンガン人のために作られた字母では文字ははるかに多く,35字あった.この字母ではすべてのアラビア文字が完全に転用され,7字が付け加わったが,このうち6字はタタル語,ウイグル語等から借用され,1字は新たに作られた.これらすべては全体的な形からしてアラビア文字を連想させるものである.

 1928年アラビア文字に基づくドゥンガン字母案の作成者たちはラテン字に基づくドゥンガン字母案を提案した.この案はドゥンガン人住民の間で広く討議された.結果として同年この字母の他の変種が作成された.指摘された欠点を除去する目的で1932年全連邦新字母中央委員会科学協議会Nauchnyj Sovet VCK Novogo alfavita付属の特別な会議が招集された.ここで字母は再度討議され,これに若干の変更がもたらされた.字母の最終的な変種はフルンゼ市g. Frunze[現ビシュケク市g. Bishkek]で開催された1932年6月の大会で採択された.ラテン字に基づくドゥンガン字母は著しく簡単化され,それの文字構成はさほど豊かではないが,文字は形が比較的簡単で,読むのに便利である.ラテン字母にない5つの補助的な文字のうち2つだけが全般的な形が他のものとは若干異なるだけである.そのほか,最小の識別記号が用いられている.字母を作る仕事と並行して正書法を準備する作業が行われ,これは最終的に1936年に終わった.ラテン字母に基づくドゥンガン文字は50年代初までドゥンガン人によって用いられた.

 1952年ソ連科学アカデミーAN SSSRの指令によりソ連科学アカデミー東洋学研究所Institut vostokovedenija AN SSSR付属のロシア字に基づくドゥンガン人のための文字作成の特別委員会が作られた.ドゥンガン字母の用意された案はソ連科学アカデミー・キルギズ支部言語・文学・歴史研究所IJaLI KirFAN SSSRの大会で採用された.少し遅れてこの委員会はドゥンガン語正書法及び句読法案を作ったが,これは1954年ソ連科学アカデミー・キルギズ支部言語・文学・歴史研究所の定例科学会議で承認を得た.

 新しいドゥンガン文字はユニークな現象である.これは多分現在孤立語タイプの言語に奉仕する世界で数少ない文字の1つであり,独立国家共同体SNG諸国で唯一積極的に機能している音声文字である.

 新しい文字のおかげでドゥンガン人は自己の民族文学を発展させる可能性を得たが,この文学は何世紀にもわたるフォークロア的伝統という確実な基礎を持っていたのである.民話と伝説,歌と英雄伝説,格言と俚諺,小話と謎々,神話と口碑―これらはすべて何世紀にもわたって作られ,口から口へ,世代から世代へと伝えられた.革命前のドゥンガン・フォークロアの最初の記録はA・ツィブズギンCibuzgin,A・シュマーコフShmakov,A・P・ベニグセンBennigsenによってなされた.後にドゥンガン口碑民間文学作品はB・A・ヴァシリイェフVasil’evとA・A・ドラグノーフDragunov,X・ユスーロフJusurovとV・シャーフマトフShaxmatov,M・ハサーノフXasanovとB・リフチーンRiftinによって集められ,刊行された.ドゥンガンのフォークロア資料はI・シスルShisyrとD・ハハザXaxazaによって集められ,整理され,体系化されている.異なる年にドゥンガン語とロシア語で5冊の民話,2冊の歌謡と1冊の格言と俚諺が刊行されている.ドゥンガン書写文学の基礎を築いたのはヤスル・シヴァザЯсыр Шиваза / Jasyr Shivazaを頂点とする文学者のグループで,すでに1920年代に手書きの雑誌 “Щүәсын / Sh'üәsyn”(“Uchenik”「学生」)を出し,その後30年代初にクルグズ語新聞 “Сабаттуу бол / Sabatuu bol”(“Bud’ gramotnym”「読み書きができるように」)の特設のコラム及びドゥンガン語新聞 “Дун Хуєщир / Dun Xuєsh'ir”(“Iskra Vostoka”「東方の火花(イスクラ)」)の欄に発表した.ドゥンガン語による最初の文学作品は1931年に現れた.Ja・シヴァザの詩集 “Лёнминщин / Ljonminsh'in”(“Utrennaja zvezda”「亮明星」朝の星)がそれである.この後他の著者による詩,短編小説が現われる.これらすべてはもちろん民族文学の成立と発展,及びドゥンガン標準語の形成を促進した.

 ドゥンガン語では新聞,文学及び通俗科学書,そして教科書及び学習参考書が出版され,ラジオ及びテレビ放送が行われている.ドゥンガン語はドゥンガン人の生徒が大多数を占める学校で教えられている.

 ドゥンガン語の方言は多様で,甘粛Ganshu方言ганьсуйский / gan’sujskij,陝西Shanxi方言шэньсийский/ shén’sijskij,河州Hezhou方言хэджу / xédzhu,ヤゲ(?)方言ягэ/ jagé等がある.ところで基本的な方言は甘粛方言と陝西方言である.両者の話し手の数はほぼ同数である.標準語の基礎は甘粛方言にある.陝西方言と標準語との差は何よりも音声と語彙のレヴェルに見られる.例えば甘粛方言には声調は3つあるが,陝西方言には4つある.陝西方言の子音音素の体系には甘粛方言にある唇歯音 /v/ と前舌音 /d’/ 及び /t’/ がない.音の結合性の分野での差が顕著である.例えば甘粛方言では後舌音 /g/, /k/, /x/ は母音 /y/ とは結合しないが,陝西方言では結合する:гызузы / gyzuzy<肘>,кычигэ / kychigé <膝>,хыту / xytu<中>等.陝西方言の単語は時に甘粛方言とは完全に異なる.例:陝西 гуан / guan, 甘粛гонзы / gonzy<桶>,陝西 ляму / ljamu甘粛 куэ / kué<速く>等.

 19世紀末のドゥンガン人の言語に関する最初の情報はV・I・ツィブズギンによってもたらされた.A・シュマーコフとともに書かれた “Заметки о жизни дунган селения Каракунуз Пишпекского уезда Семиреченской области”(セミレチエ(七河)州ピシュペク郡カラクヌズ村落ドゥンガン人の生活に関する覚書)と “Дунганские загадки, собранные в селении Каракунуз”(カラクヌズ村落収集のドゥンガン人の謎々)は直接ドゥンガン語を扱ったものではないが,それらのテキストはドゥンガン語方言の一つ陝西方言研究のための豊かな資料を含んでいる.

 ドゥンガン語の全面的な研究は後にソヴェト時代に始まった.E・D・ポリヴァーノフPolivanovの論文 “Фонетическая система ганьсуйского наречия дунганского языка”(ドゥンガン語甘粛方言の音声体系)は実際の必要に応じたものである.この中で最初にドゥンガン語の音素が名付けられ,子音の基本的な相関が規定された.この論文はドゥンガン文字創造の理論的基礎となった.A及びE・ドラグノーフDragunovyは論文 “Дунганский язык”(ドゥンガン語)でドゥンガン語における二重母音の単母音化の過程,単語をなす諸音節の声調に応じて単語内部でアクセントが分布する法則性に注意を向けている.ドゥンガン語の声調についての実験的資料は1940年Ju・ヤンシャンシンJanshansinのパンフレット “Тоны и ударения в дунганском языке”(ドゥンガン語の声調とアクセント)に初めて現われた.ドゥンガン語の音声はX・B・ブガーゾフBugazovの論文 “Фонетическое освоение русских лексических заимствований в дунганском языке”(ドゥンガン語へのロシア語の語彙借用の音声的習得)で簡単な音声的説明を受けた.この書き手はドゥンガン語の二重母音は2母音的ではなく,母音が複雑で,分割され得ないものであるという考えを述べている.ドゥンガン語に開音節の法則があり,有気音があることはA・カリーモフKalimovが論文 “О фонетической модификации арабских заимствований в дунганском языке”(ドゥンガン語へのアラビア語借用語の音声的修正について)と “Дунганский язык”(ドゥンガン語)で指摘している.ドゥンガン語・ロシア語音声対照研究はA・マンスーザMansuzaの諸論文が扱っている.2つの言語の音韻論レヴェルでの相違点を明らかにし,それによってドゥンガン人がロシア語の発音を習得する際の間違いの原因を確定することが,事実上ドゥンガン人によるロシア語学習の言語学的基礎を扱うこれらの研究の主な内容である.

 ドゥンガン語方言の資料はJu・ヤンシャンシンのパンフレット “Токмакский диалект дунганского языка”(ドゥンガン語トクマク方言)に含まれている.ここには特に2つの方言―甘粛方言と陝西方言―の音声及び声調の量的相関関係が引用されている.ドゥンガン語方言はO・I・ザヴィヤーロヴァZav’jalovaの論文が扱っている.この書き手はドゥンガン語の声調を詳細に記述し,異なる位置でのそれらの実現を研究している.実験音声的分析の結果が証拠立てているように,ドゥンガン語方言は声調とその実現について互いに顕著に異なっている.

 ドゥンガン語の造語はJu・ツンヴァゾCunvazoの諸論文が扱っているが,これらは今のところこの分野では唯一のものである.ドゥンガン語語彙の語彙=文法的範疇の造語の基本的方法,タイプ及び手段が詳細に観察されている.副詞の造語手段も徹底的に分析されている.これらの論著は利用される資料が広く,書き手の言語的観察が深くかつ入念であることで際立っている.

 ドゥンガン語文法についての簡単な情報はA・カリーモフの上述の論文に含まれる.すなわち論文の参考的性格に規制された圧縮された形で基本的な品詞が初めて記述され,単純文と複合文が観察される.

 ドゥンガン語の形態論的及び統辞論的構造はM・X・イマーゾフImazovの多くの論著に記述されている.

 ドゥンガン語に対する一定の関心は外国の学者も示した.このことを助長したのは,ソ連でますます増大しつつあるドゥンガン語関連の出版物や外国のそうそうたる出版物に発表された全世界に名を知られたN・S・トルベツコイTrubeckojやA・A・ドラグノーフの論著であると推察すつ必要がある.ドゥンガン語を扱ったのはオーストラリアと西ドイツ,日本とフィンランドの学者の論著である.しかしこれらの論著の大部分は通俗科学的性格を持つと言わなければならない.

 音声的特徴 ドゥンガン語の音節は一定の音声構成によって特徴づけられ,なんらかの声調(音楽的アクセント)で発音され得る.1つの声調で発音される音節は語彙的意味を得て単語となる.まさにこの理由によりドゥンガン語の多音節語は普通単語組成slovoslozhenie(複合語の形成)の方法で作られた複合語であり,まさにこの理由によりドゥンガン語における音節と形態素の境界が一致するのである.ドゥンガン語には351の音節があり,このうち第I声調でのみ発音されるのは29音節,第II声調でのみ発音されるのは6音節,第III声調でのみ発音されるのは0音節,第I声調と第II声調でのみ発音されるのは35音節,第I声調と第III声調でのみ発音されるのは43音節,第II声調と第III声調でのみ発音されるのは4音節,3つの音節(I, II, III)で発音されるのは217音節である.全音節は音声構成から次のタイプに所属せしめられる.
  1. 1つの母音からなる音節:a, o, ã, õ等;2) 子音と鼻母音からなる音節:мон / mon (мõ / mõ),

тон / ton (тõ / tõ)等;3) 子音と二重母音からなる音節:гуа / gua, куэ / kué 等;4) 子音と単純母音からなる音節:бо / bo, га / ga, ду / du等.

 ドゥンガン語の音声構成は比較的多くの母音(鼻母音と二重母音を含む)や破擦音と有気

音があるという特徴がある.

 形態論的特徴 ドゥンガン語の形態素は普通1音節と等しい.例外は лова / lova<からす>のタイプの語根形態素とэрлин / érlin<知識>の借用タイプであるが,これらの各々は語源的に分かち得ず,統一体として,1つの形態素として知覚されているものである.ドゥンガン語には語根形態素と接辞(接頭辞,接中字,接尾辞,語尾)形態素がある.しかしこれらの形態素がすべて同時に存在するような音節はほとんど1つもないと直ちに気づく.もっとも多く見られるのは語根と接尾辞がある単語である:тёзы / tëzyтё / 語根,-зы / -zy接尾辞)<枝>等.この次に頻度と数順に,語根,接尾辞,語尾からなる単語が続く:лузыни / luzyniлу / lu語根,-зы / -zy接尾字,-ни / -ni語尾)<炉で>等.接中辞( -бу- / -bu-, -йи- / -ji-, -дый- / -dyj-)のあるような単語がかなり多くなる:чибучи / chibuchi<行くか行かないか>,канйихар / kanjixar<ちょっと見る>,чыдыйшоннима / chydyjshonnima<食べられるか>等.

 次に多く見られる単語は語根と語尾からなる単語である:чынни / chynniчын / chyn語根,-ни / -ni語尾)<町で>等.まったく稀に現われるのは接頭語pristavkaのある単語である.このことはドゥンガン語には,厳密に言えば,否定бу / bu, мə / , ву / vu(これらは時に接頭語として現れる)を考えないならば,接頭語はないことによって説明がつく:бущин / bush'in<病む>,мəфор / məfor<どうしようもない>,вущянсыди / vush'jansydi<無期限の>等.上述のこのような単語はこれらの否定抜きには普通用いられない.単純語の形態論的構成は以上のとおりである.合成語の構成は単純語とは事実上語根形態素の数だけによって区別される.чуаншонди / chuanshondiчуан / chuan語根,-шон / -shon語尾,-ди / -di接尾辞)<船の上の>;фынчуаншонди / fynchuanshondiфын / fyn語根,чуан / chuan語根,-шон / -shon語尾,-ди / -di接尾辞)<飛行機上の>等(ドゥンガン語の接尾辞は時に語根の後の普通の位置のほかにさらに語尾の後ろに来られる).

 ドゥンガン語には単純語の3つの形態論的タイプがある:

 第Iタイプ―形態論的に分割不可能で,文法的に不変化の単語(例:抽象的数詞 йи / ji<一>,эр / ér<二>,сан / san<三>等);

 第IIタイプ―形態論的に分割不可能だが,文法的に変化し得る単語(例:名詞лова / lova<からす>等);

 第IIIタイプ―形態論的に分割可能だが,文法的に不変化の単語(例:2音節単純動詞:занха / zanxa<止まる>,вонха / vonxa<忘れる>―занхали / zanxali<止まった>,вонхали / vonxali<忘れた>,занхани / zanxani<止まるだろう>,вонхани / vonxani<忘れるだろう>等.

 ドゥンガン語はその基本的な類型論的特徴からして孤立語であるが(多くの場合単語の形態論的指標がなく,比較的多数の単音節がある等々),同時に少なからぬ屈折要素を含んでおり,膠着のいくつかの現象を持っている.ドゥンガン語における単語変化(語形変化)は時にある種の語彙=文法的な単語クラスと結びついている:すなわち動詞のテンス形式(дадини / dadini<打ちつつある>,дали / dali<打った>,дани / dani<打つだろう>)及びアスペクト形式(кан / kan<切る>,канкэ / kanké<切り分ける>),名詞の単数形と複数形(дэфу / défu<医者>,дэфуму / défumu<医者たち>),形容詞の比較級(щёнди / sh'ëndi<おいしい>,щёнщер / sh'ënsh'er<よりおいしい>,щёндихын / sh'ëndixyn<もっともおいしい>,)形動詞(分詞)(чыхади / chyxadi<食べられた>,дадёди / dadёdi<割れた>)及び副動詞фиха нян / fixa njan<横たわって読む>,занди чы / zandi chy<立って食べる>),所有代名詞ниди / nidi<あなたの>,нимуди / nimudi<あなた方の>)と指示代名詞җыгə /zh'ygə<これ>, җыще / zh'ysh'e<これら>)等々.ドゥンガン語における膠着の特徴が見られるのは実は極めて稀である(ва / va<子供>,вашон / vashon<子供の上>,ваму / vamu<子供たち>,вамушон / vamushon<子供たちの上>,вамушонди / vamushondi<子供たちの上の>).

 造語 造語の基本的方法は統辞論的(単語組成)である:фын / fyn<風>+чуан / chuan<船>= фынчуан / fynchuan<飛行機>,гун / gun<労働>+чян / chjan<銭>= гунчян / gunchjan<給料>等.組み立てられた諸要素はその際1つの(上に挙げた例のように)あるいは異なる語彙=文法的単語クラスと関連し得る(бый / byj<白い>+ те / te<鉄>= быйте / byjte<アルミニウム>,сан / san<三>+ нён / nën<母,叔母>= саннён / sannën<叔母(3番目の)>)等.しかしドゥンガン語の単語はまた形態論的方法(主として接尾辞付け)によっても作られる:ла / la<辛い>+接尾辞 -зы / -zy = лазы / lazy<唐辛子>,зу / zu<歩く>+ -шу / -shu = зушу / zushu<歩きぶり>等.もっとも生産的なのは統辞論的=形態論的方法である:сан / san<山>+ гын / gyn<根>+接尾辞 зу / -zy = сангынзы / sangynzy<山麓>,мый / myj<麦>+ ту / tu<頭>+接尾辞 -зы / -zy = мыйтузы / myjtuzy<穂>等.

 統辞論的特徴 単純文と複合文におけるドゥンガン語の語順は厳密に規定されている.単純文の語順は普通「主語―述語―補語」あるいは「主語―規定語―述語―規定語―補語」である(Ваму нян фудини / Vamu njan fudini<子供たちが本を読んでいる>;Ваму чёчёр нян хо фудини / Vamu chёchёr njan xo fudini<子供たちは静かによい本を読んでいる>).複合文ではその構成部分の配列の一定の順序が見られる.すなわち一定の付加文(主語文,場所の状況語文その他)は必ず前置され,付加補語文は必ずしも後置されるわけではない.

 ドゥンガン語の従属複文の著しい特殊性は主文と付加補語文及び程度の付加文とを形態素 -ди / -di(また形態素 -сы / -sy, -до / -doも)(これは同時に接辞と補助的な単語の機能を果たす)によって結合する独特な総合的な方法があることである:Ни мучин сылёнди, заму зудёли / Ni muchin sylёndi, zamu zudёli<おまえのお母さんはわれわれが立ち去ったと思っている>等.

 同種規定語文に特徴的なのは規定される単語をこの規定語文にある分だけ繰り返すことである:^ Хуатянзыни җонди хун хуар, лан хуар, бый хуар / Xuatjanzyni zh'ondi xun xuar, lan xuar, byj xuar<花壇には赤い花,青い花,白い花が育っている>.

 ドゥンガン語の語彙はその構成から一様ではない.そこにはドゥンガン語の固有語と借用語が入る.もっとも古い語彙借用はアラビア語=ペルシャ語である:сэдэгэ / sédégé(アラビア語ṣadaqa)<喜捨>,бэля / bélja(アラビア語balā)<わざわい>,асмар / asmar(ペルシャ語āsemān)<空>,бандэ / bandé(ペルシャ語bande)<神の奴隷>等.少し後にテュルク諸語の単語が借用された:чяпан / chjapan(クルグズ語чапан / chapan)<上着>,байи / baji(クルグズ語бай / baj)<金持ち>,чадахы / chadaxy(クルグズ語чатак / chatak)<喧嘩>等. 過去数十年間の借用語はロシア語からのものとロシア語を媒介としてドゥンガン語の語彙に入った外来語である:диван / divan<ソファー>,пальто / pal'to<外套>,аспирин / aspirin<アスピリン>等.

 ドゥンガン語の単語はしばしば多義を持つ.例えば,зуй / zujはいろいろな結合において次のものを表わし得る:1) 人間の器官:Тади зуй дадихын / Tadi zuj dadixyn<彼の口はたいへん大きい>:2) 交際手段:Зуй чон-жə сыфи, санзы чон-ла луфи / Zuj chon-zhə syfi, sanzy chon-la lufi<わが舌はわが敵(口は災いのもと)>;3) 話しの腰を折る:Та йиха цылигэ зуй, ханди... / Ta jixa cyligé zuj, xandi...<彼は直ちに彼らの話の腰を追って,叫んだ...>.

 ドゥンガン語の語彙には同音異義語(чён / chёn<壁>,чён / chёn<隠す>,чён / chёn<銃>),同義語(<小さい>суй / suj, га / ga , щё / sh'ё),反義語(хо / xo<よい>― ха / xa<悪い>,бый / byj<白い>― хи / xi<黒い>,го / go<高い>― ди / di<低い>)の現象も無関係ではない.

 ドゥンガン人の名前は普通アラビア語起源である.しばしば1つの名前から音が互いに大いに異なるタシュケントの多くのものが作られる.男女の名前ともにそうである.例えば,男の名Мухаммед / Muxammedムハンメドからは Мухармэ / Muxarméムハルメ,Мэхарму / Méxarmuメハルム,Махмут / Maxmutマフムト,Мумузы / Mumyzyムムズ,Мумур / Mumurムムル,Мур / Murムル,Мурдан / Murdanムルダン,Магэзы / Magézyマゲズ,Магэр / Magérマゲルができ,女の名Айша / AjshaアイシャからはАйшэ / Ajshéアイシェ,Ашэзы / Ashézyアシェズ,Ашэр / Ashérアシェル,Шэр / Shérシェル,Шэвазы / Shévazyシェヴァズ,Шэвар / Shévarシェヴァルができた.姓については,基本的に上述のものも含めて男の名から作られる.ドゥンガン人の氏族名Ма / Maマ, Ён / Ёnヨン, Ню / Njuニュ, Мэ / Méメ, Бый / Byjブイ, Хи / Xiヒ, Лан / Lanラン, Лю / Ljuリュ, Фын / Fynフン, Щё / Sh'ёショにさかのぼる姓も存在する:Мащёнло / Mash'ёnloマションロ,Ёнахун / Ёnaxunヨナフン,Нюэр / Njuérニュエル,Мэщёнло / Mésh'ёnloメションロ,Быйахун / Byjaxunブイアフン, Хилоу / Xilouヒロウ,Ланфон / Lanfonランフォン,Люшызы / Ljushyzyリュシュズ,Фынчин / Fynchinフンチン,Щёахун / Sh'ёaxunショアフン.

 過去にドゥンガン語に対して関心を示したのは次のような言語学の大家たちである:N・S・トルベツコイとL・V・シチェルバShcherba,E・D・ポリヴァーノフとA・A・ドラグノーフ,V・M・アレクセーイェフAlekseevとA・A・レフォルマツキーReformatskij.ドゥンガン語の研究には次のような多くの他のロシアと外国の学者が従事した:I・M・オシャーニンOshanin,K・トゥヌスターノフTynystanov,I・A・バトマーノフBatmanov,S・ケネスバーイェフKenesbaev,G・ストラタノーヴィチStratanovich,G・サンジェーイェフSanzheev,M・A・レーシェトフReshetov,M・I・ザドロージュヌイZadorozhnyj,B・Ju・ゴロデーツキーGorodeckij,P・ヌルメクンドNurmekund,T・S・ゼヴァーヒナZevaxina,O・I・ザヴィヤーロヴァ,橋本万太郎(日本),S・ダイアーDyer(オーストラリア),ハインツ・リードリンゲルHeinz Riedlinger(西ドイツ),オッリ・サルミOlli Salmi(フィンランド),V・マイアーMeyer(アメリカ),胡振華Hu Zhenhua(中国),B・リーゲルRiger(オーストリア),丁宏Ding Hong(中国),海峰Hai Feng(中国)等々.彼らはそれぞれがドゥンガン言語学に価値ある寄与をなしてくれ,われわれは彼らに心からの感謝をささげるのである.

 ドゥンガン書写文学の形成と発達は,すでに述べたように,ドゥンガン語新聞「東方の火花(イスクラ)“Iskra Vostoka”(1932-1938年)」,「十月の旗 “Znamja Oktjabrja”(1957-1994)」及び「ドゥンガン新聞 “Dunganskaja gazeta”(1996年以降)」の出現と不可分に結びついている.次のような多くの人々がその紙上で文筆の試みを行った:D・アブドゥリンAbdullin,Ja・シヴァザShivaza,X・ユスーロフJusurov,Ju・ツンヴァゾCunvazo,X・マケーイェフMakeev,Ju・ヤンシャンシンJanshansin,A・アルブドゥArbudu,A・ブイジョングイディByjdzhonggujdi,Ja・ハヴァーゾフXavazov,M・ハサーノフXasanov,Ja・マメーゾフMamezov,J・シャムザShamuza,X・リヴァズハジイェヴァLivazxadxhieva,A・マンスーロヴァMansurova,B・ドゥヴァザDuvaza,M・イマーゾフImazov,I・シスルShisyr,A・ジョンDzhon,A・ソヴァザSovaza, X・ラアフーノフLaaxunov,Ju・バギBagi,A・チャングバルTjangubar, A・ハヴァーゾフXavazov,S・モロダMoloda,A・ブラザBulaza,G・レブザ Lebuza, Z・ヤンダヴーロヴァJandavurova,F・ムサーイェヴァMusaeva等々.彼らの大部分は確かに職業的な作家にならなかったが,何人かは1-2冊の詩集あるいは短編小説集を出している(I・シャムザ,A・マンスーロヴァ,A・ソヴァザ,Z・ヤンダヴーロヴァ).しかし彼らはドゥンガン文学の形成と発達の全般的な経過に疑いもなくいささかの寄与をなしているのである.

 ソ連作家同盟及びクルグズスタン作家同盟の会員たる職業作家にはヤスル・シヴァザJasyr Shivaza,アルリ・アルブドゥArli Arbudu,ヤクブ・ハヴァーゾフJakub Xavazov,イスハル・シスルIsxar Shisyrが属している.彼らはかなり高名になっている.彼らの名前は国内だけでなく,遠く国外にまで知られている.シナ語,英語,ロシア語等に訳されたJa・シヴァザの諸作品は世界の多くの国で知られている.またロシア語に訳されたA・アルブドゥとJa・ハヴァザの小説は独立国家共同体諸国で成功を収めている.ドゥンガン文学発展の歴史にはフセイン・マケーイェフXusejn Makeevとマフムド・ハサーノフMaxmud Xasanovが足跡を残している.

 クルグズ語,ロシア語,シナ語に訳されたI・シスルの詩,M・イマーゾフの小説もまた広く知られ,読者のもとで成功を収めている.ついでながら,I・シスルとM・イマーゾフはクルグズ共和国作家同盟会員である.

ある.